映画を超えた体感型アトラクション。モンスター映画の歴史を塗り替える作品。予備知識なしで鑑賞した方がキャラと一体感がある

第1章は1971年。女装歌手としてステージに立つアーノルドは、ゲイ・バーで出会ったエドブライアン・カーウィン)と恋に落ちる。だが、エドは周囲にゲイであることを隠しており、女性の恋人を持つバイ・セクシャルだった。アーノルドは自分を偽るエドに我慢できず2人は破局する。
第2章は1973年。ゲイ・バーでトラブルを起こした美青年アラン(マシュー・ブロデリック)をアーノルドが救ったことから2人の共同生活が始まる。アランはアーノルドによって都会の荒んだ暮らしにぬくもりを見出し、アーノルドもまたアランの純粋で一途な想いに心の安らぎを得る。だが、7年間の交際を経て“結婚”に踏みきり、養子縁組が決まった矢先に、アランはゲイを蔑視するチンピラたちに撲殺されてしまう。
最終章は1980年。養子で高校生のデイヴィッドと暮らすアーノルドの元へ、母親(アン・バンクロフト)が訪ねてくる。彼女はゲイである我が子を受け入れられず、アーノルドの人生を「歪んだ生き方」として認めてくれない。亡きアランのことまで侮辱する母親に対し、アーノルドは抑えていた悲しみを吐き出す。「ぼくは人に頼らず自分の事は自分で出来る。独りで生きてゆける。だから人に愛と敬意以外は求めない。それを持たない人に用はないわ。あんたは母親、愛してるわ。心から。でもぼくを見下げるなら出て行って」。そんな折、かつて別れたエドが、ゲイであることを公言する覚悟を決め、アーノルドやデイビッドと暮らしたいと申し込んできた。エドの気持ちは嬉しいが、アランの思い出を断ち切れないアーノルドは、母との別れ際に悩みを話す。「ママ…アランが恋しいわ。死人は愛しやすい…欠点がないから」「時が癒してくれるわ。傷が消え去るのではない。仕事して子供を育てて私とケンカしても、傷は残って指輪のように体の一部になる。傷がある事に慣れてしまう。慣れるけど忘れはしない。それでいいのよ」。“忘れる必要はない”という言葉に救われたアーノルド。皆が外出した後、1人になった部屋にラジオからエラ・フィッツジェラルドの名歌『This Time The Dream's On Me(今こそ夢がかなった)』が流れる。この曲は、以前にアランがアーノルドへのプレゼントにリクエストしてくれたもの。その思い出の曲をデイビッドもまた贈ってくれたのだ。アーノルドは部屋に散らばっていたデイビッドの野球帽、母の土産のオレンジ、エドの老眼鏡、アランの写真を集めると、それらを抱えてソファーに座り、皆への愛をたっぷり込めて抱きしめた。優しさと温かさに満ちた静かな幸福感がアーノルドを包み込んでゆく--。ゲバラは「キューバ革命は成功したが世界にはまだ虐げられた人々が大勢いる」と、革命成功後にキューバ政府の大臣の地位を捨て、愛する家族とも別れ、ただの一介のゲリラとして旅立つ。目指したのは南米の中心に位置する軍政ボリビア。そこで革命を成功させ、周辺諸国を次々と独裁者の圧政から解放する計画だった。
勝算はあった。キューバのようにゲリラが潜める山岳地帯があり、ボリビア共産党から物資食料の支援を受ける根回しもしていた。ところが、ゲバラソ連のことを「帝国主義の共犯者」と批判したことから、親ソ派のボリビア共産党から過激派扱いされて援助を断たれ、米国に支援されたボリビア軍精鋭部隊がゲバラを執拗に追跡した。
最大の悲劇は、ゲバラたちが貧しい農民のために頑張っていたのに、ボリビア軍が流したデマの為に農民の支持を得られなかったことだ。軍はゲバラたちを「キューバ人の侵略者」「外国人の山賊」などと農民に吹き込み、ゲリラを見た農民たちは逃げ出し居場所を軍に通報した。また脱走ゲリラが軍に捕まり作戦を自白したのも痛かった。次第に追い詰められ、もともと50人しかいなかったゲバラの仲間が1人、また1人と散っていく。少ない戦力で奮戦するも多勢に無勢、ついにゲバラは軍に拘束され、裁判抜きで翌日に処刑された。

多くの映画評で、この第2部は第1部以上にボロボロの点数が付けられている。単調といわれた第1部でさえ、一応見どころとなる大きな市街戦があった。しかし第2部は山岳地帯で小競り合いがたまにあるだけで、前作以上に娯楽性が皆無&ストーリーにメリハリもなく、人間ゲバラに興味のない人には2時間の“苦行”だったと思う。僕は第1部を見て、この2部作は通常の“映画的興奮”を求める作品じゃないことが分かったので、最初からスイッチを切り替え、ゲバラの過酷な行軍を見届ける覚悟で挑んだ。見終えた僕の点数は100点だ。ブラボー!たくさんあった伏線をすべて回収した脚本に出合ったのは久々!どうして人類の文明が滅んで猿が地球の支配者となったのかを、エンディングまで使って見事に描ききった。映画が始まってすぐ分かることなので書くけど、アルツハイマー治療用の脳を活性化する新薬を注射された実験用チンパンジーたちに確変が起きる。とんでもなく頭脳が進化しちゃう。そして、チンパンジーの“シーザー”は人間の傲慢さに失望し、自由を求めてある行動を起こす。チンパンジー、ゴリラ、オランウータンと種別に見せ場があるのが面白い。サンフランシスコ名物の路面電車の上で“四天王”がキメるカットにシビれた!「ノー!」もね。それにしても、あのエンディング・ロール、ただの世界地図と光の筋だけで、あんなに恐ろしい光景になってしまうとは。続編が公開されたら初日に観に行きたい!
※観ている間、“この小者、どこかで観たことあるぞ…”とモヤモヤしてたら、パンフでハリー・ポッターのライバル、ドラコと判明。奴か!
※CGを多様しているため膨大な人数のスタッフが参加しており、5列のスタッフロールというのを初めて見た。それくらいキツキツにしないと長すぎちゃうんだろう。ロックバンド“ザ・フー”の歴史的名盤「四重人格」を映画化。これほど主人公がミジメな映画はそうそうない。「ジミー!」とエールを送りたくなる。また、脇役で出演していた若きスティングがカリスマ的カッコ良さを発揮。役名の“エース”がぴったり。ライトとミラーが大量に追加された改造ベスパ、乗ってみたい!
※20代前半の頃、この映画の影響でブライトンの街に行き、海岸線で「ウィー・アー・モッズ」と一人で行進した。映画を超えた体感型アトラクション。モンスター映画の歴史を塗り替える作品。予備知識なしで鑑賞した方がキャラと一体感があるので内容紹介は最低限に止めておく。舞台は夜のNY。海外に転勤する友人の送別会をしていると、突然街が謎の巨大生物に襲われる。ビデオカメラを掴んで通りに飛び出すと、目の前に飛んで来たのは(予告編にある)“自由の女神”の頭。そこから始まる空前絶後の逃避行。全編が手持ちカメラで撮影された記録映像なので、観客は事件に巻き込まれた1人としてNYを駆けずり回る。モンスターの正体は何なのか?どこから来たのか?何も分からないまま展開するが、この映画に関してはそれでいい。もし自分の町が怪獣に襲われてパニックになれば、怪獣の目的や生まれた原因なんか考える余裕などない。僕はゴジラガメラなどで巨大生物に慣れ親しんできたけど、これまでの怪獣映画にはない、尋常ではない緊迫感があった。あくまでも“記録映像”なので、パニック映画なのにBGMは一切ない。1台のカメラだけで映画を作るので、ワイドショットや相手目線のリバースショットなど、通常のテクニックが何も使えない。