ムッソリーニ批判で流された政治犯たちに対する村人の偏見を穏やかな物腰で丁寧に正していく姿が胸を打つ

次に、僕がシャルリー最新号のムハンマド風刺画の解釈を間違えていたことも分かった。教えて頂いたコチラのサイトによると、ムハンマドが泣きながら『Je suis Charlie(私はシャルリー)』と標語を掲げ、見出しに「Tout est pardonne(すべては許される)」と付いてあるのは、1月13日付読売新聞では「ムハンマドの風刺も『表現の自由』の枠内との見解を訴えたと見られる」とあったそうだ。僕も同様に考えていた。 しかし、翻訳家・関口涼子さんによると、正しくは「許す」ではなく「赦す(そのことについてはもう咎めないよ)」になるという。この違いは非常に大きい!(以下要約) →「すべては許される」だと言論の自由(なんでもあり)を示したものになるけど、「すべては赦される」には、「この件については、終わったこととしようではないか、そうして、お互いに辛いけれども、新しい関係に移ろうという、「和解」「水に流す」というきれいごとの表現では表しきれない、深いニュアンスが含まれている。画面上この文章は、預言者ムハンマドが言ったとも取れるし、シャルリー誌側の言葉とも取れる。つまり、複数の解釈を許しているのだ。ムハンマドが言ったとすれば、それは、“君たちの風刺・または思想をもわたしは寛容に受け止めよう”ということであり、シャルリー誌の側としては、“わたしたちの仲間は死んだ。でも、これを憎悪の元にするのではなく、前に進んでいかなければならない”ということを意味するだろう。 この「許す」が本当は「赦す」であったことを知って、目頭が熱くなった。極めて深い意味がある絵。感動的でさえある。…そう思う一方で、フランス人には真の意味が分かっても、世界最多発行部数を誇る読売でさえ解釈を間違うくらいであり、各国のイスラム教徒にはイラストだけを見て「またムハンマドが描かれた!これは冒涜だ!」と絶句する人がいるだろう。そのときに、「ちゃんと解釈できなかった方が悪い」と僕は言い切ることが出来ない…。新たな火種にならぬことを願うばかりだ。 いま、リベラルはフランスのテロ事件をどう受け止めるかで意見が2分している。テロ反対を大前提としたうえで、シャルリー紙がムハンマドマホメット)の風刺画を描いたことを、是とするが非とするかだ。僕は悩みに悩んだ。日頃からサイトで「表現・言論の自由は民主主義の血液」と訴えてきたので、当初はテロリスト非難だけに徹するべきと思った。しかし、シャルリーがこの緊張状態の中で、再びムハンマドを表紙にすると知り、僕は迷いながらも“表現の自由の名の下にこれ以上15億イスラム教徒の心を傷つけることはやめて欲しい”、と書かずにいられなかった。 その結果、複数の方から「ダブルスタンダードはよくない」とメールを頂いたので、僕の気持ちをもう少し書こうと思う。3カ月前に僕は子どもと2人でトルコ、ヨルダン、オマーンといったイスラム圏を巡礼し、何度もモスクに入って敬虔なイスラム教徒を見てきた。そして、困ったことがある度に、たくさんのイスラムの人々に助けて頂いた。 それまでにも、まだ平和だった頃のシリア、エジプト、パレスチナリビアチュニジアアルジェリア、モロッコ、マレーシアに20代から墓巡礼で訪れ、各地で親切にされてきたので、イスラムの一般市民に感謝しているし、親近感を覚えている。もちろん、過激派は最悪だし、少女に自爆テロさせるボコ・ハラムは鬼畜の極みと思ってる。でも、ムハンマドの風刺画を見て目に浮かぶのは、旅で出会った良心的なイスラム教徒の人々。彼らは1000年以上も前から、「ムハンマド肖像画を描いてはいけない」という誓いのもとに生きて来た。あの人たちが、信仰心を侮辱されたと感じるような絵は描かないで欲しいと、論理云々ではなく、抑え難い感情から自分の考えを綴った次第です。声優、俳優の大塚周夫(ちかお)さんが他界。享年85。初代ルパン三世石川五エ門、鬼太郎のねずみ男OVAジョジョのジョセフ、美味しんぼ海原雄山ONE PIECEゴールド・ロジャーメタルギアのビッグボス、洋画吹替のチャールズ・ブロンソンなどを担当。哀悼の意を表します。※長男の大塚明夫さんも声優(メタルギアのスネーク、ジョジョのワムウ)として大活躍。日本人イスラム教徒の下山茂氏いわく「風刺というのは弱い立場の人が権力者をからかうもの。そうでない人を傷つけたり、おとしめたりするのは、パロディと言えないのでは」。 僕はテロを断固非難するし、フランス人が長年血を流して手に入れた“表現の自由”に対する熱い想いに心から敬意を払う。あの370万人デモは、秘密保護法反対デモに1万人しか集まらない日本人として心底うらやましかった…。 だけど、イスラム過激派をからかうためになぜ預言者マホメットを侮辱する必要があるのか理解できない。他人が最も大切にしている信仰心を尊重せず、“マホメットを描くのはやめて欲しい”という声に、「こんなことで傷つく方が悪い」「笑い飛ばせないお前は弱すぎる」「他人が嫌がる行為も表現の自由」と言わんばかりの姿勢はどうなのか。シャルリー・エブド紙はキリストもネタにしているから、反イスラムに特化した新聞ではない。でも、イスラム15億人の心情をもう少し想像できないものか。最新号でもマホメットを描くといい、それは火に油を注ぐことになるから本当にやめて欲しい。 370万人デモで各国首脳が腕を組んで歩く姿はグッときたけど、同時に、その中に昨年のガザ大虐殺=ガザ地区空爆で一般市民2143人以上を殺害したイスラエル閣僚が並んでいることに違和感があった。579人以上も子どもを殺したことに、少しでも後ろめたさがあったらデモの最前列に並べないと思うし、あの映像を見たパレスチナイスラムの人は“ふざけるな”と怒りたいだろう。そんな複雑な思いでニュース映像を見ていた。イタリアの社会派映画監督で尊敬するフランチェスコ・ロージ監督が他界。享年92。氏は世界四大映画祭である、カンヌ国際映画祭パルム・ドールヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、モスクワ国際映画祭金賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を制覇した数少ない監督。僕は監督の『エボリ』が大好きで10回以上観ている。『エボリ』は反ファシズム作家で南部イタリアの貧村に流刑となった政治犯カルロ・レーヴィが主人公。ムッソリーニ批判で流された政治犯たちに対する村人の偏見を、穏やかな物腰で丁寧に正していく姿が胸を打つ。社会派ドラマでありながら、自然や村人との交流を詩情豊かに描き、音楽も非常に素晴らしく、我が人生の宝となった作品。名匠の死に哀悼の意を表します。 『エボリ』、政治犯の主人公が村を去るラストシーン(2分)がYouTubeに。ここの音楽は神曲。最初は主人公を警戒していた村人が最後はみんなで…。DVD化されておらず、TVでもめったにオンエアされないので、まさかYouTubeにあると思わなかった。感謝。 ロケ地は南イタリアのメルフィ村。サレルノからエボリ経由でポテンツァに行き、そこからフォッジアに向かうローカル線で行けるそうだ。生きてるうちに一度は行きたい!