流浪の月。だから完全に人を信用しない自分に嫌気がする。そんな事を考えながらの読書だった。

内容はずっとずっしりじっとり重めだけれども、クスッと笑える日常の会話や、カラフルな情景を想像させる内容の為挫けずに読み終える事ができた。 事実と真実の違い、人と自分との違いは2人と世間の間だけでなくて、文と更紗の間でも起きてる事が後半で分かり色々考えさせられる。 最後は映画と同じでハッピーエンド?で良かった。今年単行本で読み、時間がなかったので、パラパラめくり、解説を読んだ。凪良ゆうの小説を読むことは、自分の中にある優しさを疑う契機となる。なるほど。確かにそうかも知れない。「よかれと思って」、自分の目から「普通」はないと思われる人々に対し、「普通」を突きつける。カーダブルか。パラパラ読んだだけで、あの母親の事とかが甦ってきて 、苦しくなった。「彼が本当に悪だったのかどうかは、彼と彼女にしかわからない」。読もう読もうと思ってやっと読めた。 大人になるほど自由の象徴みたいな人への憧れが強くなる。なぜか最初から文擁護の目線で読んでたせいか、更紗の行動にイライラしたけど、更紗目線で考えればやむを得ない行動だったのかな。 同じ出来事でもその人の解釈の仕方や勝手な憶測で全然変わってしまう。 真実は当人にしかわからない。 もし、実際このニュースをネットやテレビで知ったら私も文のこと、「うへぇ~っ、気持ちわる〜」って思っただろう。 DVとか性犯罪とか育児放棄とかいろんな問題がてんこ盛りで読み応えがあったけど、どうしても解せないのは文がロリコンじゃなかったってところ。逆にロリコンを否定してる気がしたから。 自分なら周囲と同じくこの二人を可哀想や気持ち悪いって見ちゃうだろうけど、勝手な正義感で過去を掘り返して騒ぎ立てる人たちも理解しがたい。こういう時は、深く考えない大雑把な人に救われる。 結局、『彼と彼女にしかわからない』に尽きるのだから。 トゥルー・ロマンスの監督がハッピーエンド版を推して良かった。憶測だけで周囲が優しくしたりや心配したりすることが、逆に本人を傷つける言動になることもある。本人には話せないし話したくない過去があるなかで必死にいまを生きてるから、それを第三者が知ったようにあれこれ言うべきではないなと。率直に感じた作品でした。一気に読めました。映画を見終わったあとこれは原作も読みたいと思ってその足で買いました。文の過去のこととかは映画では描かれてないから知れてよかったと思った。恋人でも友人でもない、二人にしかわからない関係性が読んでる分には素敵だけど、もし当事者だったら彼らのように苦しいのだろうなと思った。個人的に更紗が文の声を「氷砂糖のような甘い声」と表現したのがすごく印象深かった。恥ずかしいから映画化の前に読めばよかったなと思いつつ。ひとりの力ではどうにもできない圧倒的で巨大で恐ろしい「人間の欲」の激流がとにかくつらかった。数多の暴力が1人の少女の、女性の心を壊したのに、ぜんぶ「被害者」と「加害者」の前に従兄弟も彼氏も何事もなく生きていくの? そして私はそういった目の前の事象に、TVに、ネットの大炎上に、事実とは? と自分に問い続けて空気に抗うことができるんだろうか。 ただ、ただひたすらに文くんがずっと更紗ちゃんを求めていたことがとにかく救いだった。迎えに行ってくれてありがとう。 『ひとりのほうがずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神さまはどうしてわたしたちをこんなふうに作ったんだろう。』 文と更紗の関係はレアなケースかなと思ってしまいましたが、そう思うこと自体、文と更紗を苦しめた原因になってますね。過去1年間で読んだ中で、1番面白かった。 更紗が、期待と絶望の狭間で揺れている。楽しい両親との日々、叔母の家での絶望の日々、文との安寧、動物園でまた引き裂かれて、、、 文は「ロリコンだ」と断定した表現をいつまでも使っていなかったから、「ロリコン」だけでは片付かない『何か』があるのはわかっていたけど、まさかつらい病気だったとは。映画版を見たので改めて文庫にて再読。始めて読んだ時はただただやるせない気持ちだった。世の中のニュースの受け止め方が分からなくなったりもした。人の先入観ってこんなにも誰かを苦しめたりするのか。常識や、普通と思い込んでいること、人とは違うことへの嫌悪感。無意識の迫害。言葉にするとなかなかに強烈。けれどそういうことを自分も少なからず誰かに与えてきたかもしれない。どこかに絶対的な正解があれば楽なのになんて思ったりもする。中途半端な関心より、最後まで無責任に無関心でいる事も時には誰かの正解になったりするだろうか。 今後も2人は、カフェを開業するたびに見つかるかもしれないけれど、物語の中でのびのびと暮らしていてほしいと切に願うばかり。 偏見もたずにじっくり話を聞くことも大事だと感じました。更紗は子供の頃に文に着いて行った。逮捕された後も、再び惹かれ合う2人。何が正しいか、他人は良かれと思って助言するけど、本当に何が良いかは、当人にしか分からないということ?常識にしばられて、本心を見失っているのは、自分かもしれない。主人公の周囲の優しさがこんなにも遠く感じられるのが読んでいて辛かったですね。最後は文といっしょになれてよかったです。愛ではない二人の関係、何でもかんでも型にはめようとするのは良くないのかもしれない。小児性愛者として誘拐の罪で逮捕された文、その文に誘拐、監禁された女児更紗。「事実と真実は違う」と語る更紗の気持ちが凄く印象的で、結局真実なんて当事者しか分からない。読者である私だけでも2人の味方でいたいな、と感情移入してしまいました。2人の将来が幸せであって欲しいと願いました。p252「そうだよ。でも、やっぱり、ひとりは怖いから」たんたんと進むが、続きが気になってしまい、あっという間に読んでしまいました。家から逃げたい少女と、その少女を匿うことで逮捕された青年が、15年ぶりに再開し、これまでの生活との決別とこれからの生活に目を向ける作品。他人の純粋な善意すらも、当人からしたら自身を縛る鎖になりうることを示し、優しさについて考えさせられた。恋愛感情がない二人のハッピーエンドに救われた。文のコンプレックスというか、そういうことだったんだ…と思うと切なくなった。 恋人でも友達でもなく、ただ傍にいたい。それだけでいいという気持ちが伝わってくる。文の気持ちが最後の方にならないとわからないが、お互いがお互い思っていることは同じで、嬉しかった。世間からみたら普通じゃない二人かも知れないけど普通ってなんだろう。二人が知ってる二人の世界であって欲しいと、不思議と引き込まれる物語だった。母親が失踪し伯母の家に引き取られていた9歳の更紗は行方不明になり、2ヶ月後、19歳の男子学生、文と動物園にいるところを発見された。事実はただこれだけなのに、聞いた人は十中八九、誘拐、小児性愛というストーリーを作り上げてしまうだろう。誘拐ではなく、文の家は更紗が自分で選んだ唯一の居場所だったのに、人は無意識に事実を脚色し、自分の信じたいことを信じてしまうのだと怖くなった。 文のカフェの名前が「calico」に涙が出そうになった。 更紗は母親を恨んでいないと言うけれど、ネグレクトは浮世離れでは済まされない。 ひどく素直な告白だった。ひとりのほうがずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神さまはどうしてわたしたちをこんなふうに作ったんだろう。映画未視聴。脳内で横浜流星はイメージ出来たけど、主演の二人はイメージ出来なかった。もう終わった過去の出来事を当事者はほっといて欲しいと望んでいるのに、外野がやいのやいの出しゃばって来るのは読んでいて苛々する。文はひっそりと暮らしていたのに、更紗がぐいぐい文に纏わり付いたから大事になったのでは️更紗、配慮が足りないなぁ。文を苦しめてる。この本を読むとデジタルタトゥーの恐ろしさを実感する。文の病名もいまいちよく判らなかったので調べた。文は色白&高身長となっていたので、宮沢氷魚でイメージしたらピッタリ来た。単行本の頃から気になってた一冊。何故か時代小説だと思っていた。映画の予告は見ていたので所々「この場面か。」と思う所あり。なので読みながら文は松坂桃李、更紗は広瀬すずだった。文と更紗の関係はなかなか他者には理解はされない。ワイドショー等で作られる人物像がその人の人格になってしまう現代。多少疑って見るものの自分もその一人。悲しい。自分もあまり人に理解されない性格の部分があり悩みもある。人付き合いでいつもある程度の壁を作ってしまう。だから完全に人を信用しない自分に嫌気がする。そんな事を考えながらの読書だった。