なぜなら,経緯を知っているほうが面白く感じるものも数多くあるから。 初めて見る人に向けて経緯を説明できるならそれに越したことはないけど

毎年この時期になると,いろいろな賞レースが行われます。私は視聴者として「女芸人No.1決定戦 THE W」を見ました。あと,若干の当事者として「東スポ プロレス大賞」に……今年も何にもノミネートされていないことで思うところがございました。 こういう賞レースを見ているといつも感じることなんだけど,賞レースでの結果が芸人さんなら芸人さん,プロレスラーならプロレスラー,ゲイムならゲイム,それぞれの価値を決定付けるわけではないってことを,私としては言っておきたい。私の場合は賞をもらえないやっかみからそう思っているのが大きいんだけどね。 もちろん,賞を取った人やモノに価値がないって意味じゃないよ。賞を取るにはそれにふさわしい働きがあったわけで,それは素晴らしいことであり,すごいことなのはそのとおり。でも,賞レースというものは,賞を定めた側のルール上で決定された順位なわけです。あくまでそこでの勝ち負けに過ぎない。そしてここが重要な部分だけど,それぞれのジャンルでの戦いは,現役でいる限りこれからも続くわけです。この時点での勝ちも負けも,まだ人生の途中。積み重ねることをやめれば,今勝っていても次は負けるかもしれない。負けたことで積み重ねることをやめてしまったら,次に勝つチャンスはやってこなくなる。賞だけの話でなく。普段の戦いをどう大切にするか。ここにそれぞれの価値が映し出されるんじゃないかなと,私は思っております。私個人で言えば,これからも賞がもらえないような試合を積み重ねていく。そこはブレない。そして賞レースの時期にこうやって負け惜しみを垂れ流し,次にはもう賞レースに向かない戦いを繰り広げる,そういう人生を送りたいものです。誰も悪くない。悪くないけど,自分だけが悲しい。ひょっとしたら日本のどこか,世界のどこかにはこの悲しみを共有できる人がいるかもしれない。でも,今私が見えていて手の届く範囲の世界においては,この悲しみは私だけのものだ。  例えば学生時代,好きな子がいたとする。「あの子可愛いな」と親友と常に噂をしていたとする。学年が上がり,その子とクラスが一緒になったとする。会話をするようになり,どんどんその子が身近になり,本格的に好きになったとする。で,ある日気付いたら親友とその子がつき合ってたとする。この場合。誰も悪くない。あの子のことは好きだけど,一方で親友も好き。でも,好きな人と好きな人同士が好きになり合ったら,なんで苦しいんだろう。なんで自分のことを好きになれなくなってしまうんだろう。誰も悪くないはずなのに。1+1がなぜか2にならない。こういうことを学ぶのが学生時代ってやつなのかな。例えば友達がお金に困っていたとする。お金を貸そうか? と聞いたけど,「そんな大金を借りたら今後友達としてやってけないから」と断られたとする。その彼はやがて音信不通となり,もう二度と会えなくなったとする。誰も悪くない。少なくとも友達と自分の間には何も間違ったやりとりはない……はずだ。誰も間違ってなく,最善の道を選んだはずだったのに,結果が最善のものではなくなる。公式が合っていて答えが間違ってた場合,△として少しは点がもらえるはずなのに。結局0点ですらなく,自分の手元に残ったのはマイナスだけ。数学,難しすぎてよく分かんないや。  実は誰も悪くないことは,人生に多くある。だけど,誰かの何かが悪いってことにしなきゃ話が進まない場合もある。でも,誰も悪くない。悪くないんだよ。  感想としては,ついに来たという感じですかね。いつか来るとは思っていた。でも,実際にその瞬間が来たら,言葉を失う。心の準備はできていた。ただ,練習と本番は違う。一応プロレスラーである私は,よく心得てるつもりだ。その時が来た,ただそれだけのことなのだ。よく勘違いされるんだけど,私はアニメは詳しくないのですよ。ゲイムについてなら多少は語れるかなと思うけど,ものすごく詳しいわけではない。もちろん,アニメが嫌いなわけではない。むしろ好き。ただ,サブスクのネット配信で話題作を見る程度。なので,今シーズンはどんなアニメが放送されていて~的な情報にはまるで疎いのです。  先に言ってしまうと,今週は「メガトン級ムサシ」(PlayStation 4 / Nintendo Switch)を取り上げさせていただくんだけども,アニメは見ていない状態でのゲイムへの感想だと思っていただけると幸いです。思えば,レベルファイブ作品はメディアミックスという戦略で,ゲイムとアニメ両方でタイトルを展開して世間の注目を集めるというヤり方を多く取ってきた。でも,よくよく考えたら私,レベルファイブ作品のアニメをしっかり見たことがなかったのよね。理由はとくにない。強いて言えば,放送していたタイミングと私の生活のタイミングが合わなかったから,というくらい。だから,レベルファイブ作品は,メディアミックス戦略でうまく世の中の注目を集めているなあという印象は持ちつつ,作品としてはゲイムへの評価しか語れていなかったんです。  で,今回もそう。メガトン級ムサシ,アニメでも放送されているそうなんだけど,私は見ていない。そのうえでゲイムをプレイして思ったことをこれから書きます。まあ,そもそもアニメとゲイムとでは見せ方というか,届け方が違うのですよ。  アニメは見る人に直接訴えかけないといけない。例えば20分なら20分間,画面を見続けさせなければならない。一方でゲイムはボタンを押してシーンが進行することが多いので,時間的な間合いはある程度プレイヤーに委ねられている。そして何より,プレイヤーを遊ばせないといけない。もちろん,どちらがいいって話じゃない。だけど,違いはある。なので,繰り返しになるけど今から語るお話はゲイム版のことに限定したものだと思っていただければ。私,プロレスラーとして活動させていただいております。44歳ゲイレスラーとして試合をヤっておるのですが,今はどちらかと言うとダンディなアプローチで試合にコミットしております。文字ではなかなか説明しづらいので,緊急事態宣言も明けて新規感染者数も減っている今,ぜひ会場まで足をお運びくださいな。で,私は上記の通りプロレスラーとして活動しているんだけど,プロレスというものはショービジネスの側面もあるのよ。だから,業種としてはエンターテイメント業と言ってもいい。で,エンターテイメント業界,中でもライブ型のエンターテイメントはとくにそうなんだけど,「どの層を想定して商品を届けるか」が非常に大切になってくるのよね。大別すると「初めて見た人を意識するもの」と「続きものとして提供するもの」の2種類。もちろん,どちらの要素も兼ね備えることはできるけども,実はなかなか難しいのね。なぜなら,経緯を知っているほうが面白く感じるものも数多くあるから。初めて見る人に向けて経緯を説明できるならそれに越したことはないけども,出し物のテンポ的になるべく間を削りたい場面もあるのよね。そうした場合,どうしても初見に向けた説明が足りなくなってしまうケースが往々にしてある。そこの配分が非常に難しいのよ。  初見を意識しすぎると実績のある表現ばかりになってしまい,同じ印象になってしまう。一方で続きものとして描きすぎると初めて見た人が置いてけぼりになってしまう。どちらも楽しめる範囲で商品を作り上げなければならない。これは何も作り手……プロレスの場合だと選手だけの問題ではなく,会場,進行,売店,スタッフなどのパッケージサービスとして問われていることだと思うんです。あとは幾ばくかの運。663,660