ジブリの自然描写の超絶クオリティ健在。スタッフは釧路湿原や北海道各地で丹念にロケを行ったとのこと。水鳥の羽音

平和祈念式典では約7万人の犠牲者の冥福を祈り、田上富久市長が平和宣言の中で、集団的自衛権の行使容認に言及し、「被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています」と述べた。さすがは田上市長。それだけに、広島の松井市長が市民から要望のあった「集団的自衛権」の文言を盛り込まず、また核兵器禁止条約の交渉開始を直接日本政府に要望する表現も避けたのが残念。しかも、田上市長は東電事故に短くとも触れたのに、松井市長は過去3回述べてきた日本のエネルギー政策転換について触れなかった(再稼働が迫っているから?)。う~む。内藤証言について御厨貴東大客員教授の話「電力を独占供給する巨大公益企業の政界工作を中枢の元役員が明かした衝撃の告白だ。これほど痛烈な自己批判は過去にない。歴史をこの国に記録として残そうとする勇気ある行為だ。関電は電気料金を使って政治家を値踏みし、政界のタニマチ的存在になっていた。巨額献金が独占支配を強め、自由化を嫌がる自己改革のできない組織にさせたに違いない。内藤氏は電力業界に誤りはないと信じてきたが、原発事故で過信だったと気づいた。関電にとって目指すべきモデルで超えるべき対象だった東電の事故は、裏方仕事が国家のために役立つと信じてきた彼の価値観を画期的に変えたのだろう」。 /電気代の中に原発推進のための献金代が入っていたなんて利用者として納得できるはずがない。あらためて原発利権の闇の深さに義憤。そして勇気を出して証言した内藤氏に敬意。相田さんの生涯で最も大きな事件は、ずっと慕ってきた2人の兄の戦死だろう。兄たちは貧しくて旧制中学に行けず、働いて弟や妹を中学に入れた。 1937年、相田さんが13歳のときに日中戦争が勃発し、最初にすぐ上の次兄・幸夫が兵隊にとられた。出征前に幸夫は弟にこう言った。「お前なあ、男として生まれてきた以上、しかも中学校に我々の働きで行かせてやったんだから、自分の納得する生き方をしてくれよ。世間の見てくれとか、体裁よりも、自分の心の納得する生き方をしてくれよ」。 幸夫は北京で憲兵隊に回され、自身の調書の書き方ひとつで中国人は即死刑になった。ある日、幸夫から「読んだら燃やせ」「この戦争は間違っていた」と秘密の手紙が相田家に届いた。「自分はいま思想犯の調書を書いているが、捕まえてくるのは北京大学の学生が多くみんな秀才だ。弟を見るようでとても殺すに忍びない。彼らから“どう理屈をいっても武器弾薬を持って他人の国に入って来るのは根本的に間違っている”と言われると二の句が継げない。中国の将来性のある青年を銃殺刑にするのは可哀相だから、なんとか自分の配慮でみんな無罪釈放できるように調書を書いている」。 1941年8月(17歳)、相田家に悲痛な電報が届く。「相田幸夫殿、山西省の戦闘において、左胸部貫通銃創を受け、名誉の戦死」。弔問客が帰った後、母は幸夫の遺影に向かって叫んだ。平和記念式典後に被爆者団体の代表7人が安倍氏と面会した。その際、集団的自衛権がテーマになったけど、会話が噛み合っていない…。団体代表は集団的自衛権行使の閣議決定について、「原爆慰霊碑には『過ちは繰り返しませぬから』と刻まれている。閣議決定はこの誓いを破り、過ちを繰り返すものだ」と“撤回”を求めた。一方、安倍氏の返答は「閣議決定はわが国を巡る安全保障環境が厳しさを増していくなかにおいて、国民の命と平和な暮らしを守るためだ」。?…??…??? 「わが国を巡る安全保障環境」は中国・北朝鮮を念頭にしているようだけど、それなら個別的自衛権(通常の正当防衛)で対応できる。被爆者代表が不安を訴えたのは、日本が直接攻撃を受けていないのに、米軍への攻撃を日本への攻撃と見なして先制攻撃(開戦)を可能にする解釈は、危険&安易過ぎるということ。安倍氏集団的自衛権について懸念をぶつけられているのに、個別的自衛権について説明しようとしている。 日本に限らず、世界の歴史を見ても、ほとんどの戦争が「自衛」「居留民保護」を名目に始まっており、被爆者団体の代表が“いつか来た道”に警戒するのはもっともな話。この面会で安倍氏は「今後も国民の理解を得るために丁寧に説明してまいります」と語っているんだけど、本来ならこれほど重要な案件は、最初に丁寧な説明で国民の理解を得て、その次に閣議決定というのがまっとうな道筋。それを「まず閣議決定、次に国民の理解」では順序が逆だ。『思い出のマーニー』、ジブリの自然描写の超絶クオリティ健在。スタッフは釧路湿原や北海道各地で丹念にロケを行ったとのこと。水鳥の羽音、小舟のオールが水面を滑る音など、音響効果も素晴らしく、まるで自分が湿原にたたずんでいるかのような臨場感に圧倒された。なんという空気感。サウンドトラックは北欧の映画のように静かで落ち着いたもの。巷では主人公の杏奈の性格がとても重い・暗いと言われているけど、多かれ少なかれ自分にも被る部分はあるので、そこまでネガティブな印象は受けなかった。映画を観に行こうかどうか迷っている方、プリシラ・アーンが歌う主題歌『Fine On The Outside』(4分38秒)の歌詞、「♪小さい頃からずっと友だちは少ないほう/だから平気でいられるようになったの/ひとりでも ひとりでも/これからも(環の)外側にいたっていいの/(略)いつもそう ずっといると思う ここに ここに/これからも外側にいたっていいの」、これが作品の世界観そのまんまなので、琴線に触れた人はオススメです。本作を鑑賞した宮崎駿さんは、米林監督を「1+1を3以上にできる男」と讃えたという。新作のハリウッド・ゴジラを観てきた。事前に想像していたストーリーとあまりに内容が異なり、面食らっている。『クローバーフィールド』『パシフィック・リム』『トランスフォーマー』『マン・オブ・スティール』などを見ていなければ、映像にもっと圧倒されていただろう…。『クローバーフィールド』のような緊張感が欲しかったな。っていうか、本作のタイトルは『ギャオス』でゴジラはゲスト出演という位置づけに感じたぜよ…(クライマックスの決戦より、ある建造物が3つ破壊される序盤のシーンに、日本人として最大限の恐怖を覚えた)。絵画的な美しさを感じた空中降下など、ところどころ良いシーンはある。なんだかんだ言っても続編も必ず観に行く。 注意警報。本編前の実写版『寄生獣』の予告編映像が残酷すぎる!ゴジラは子どもがたくさん見に来ているのに、なんであんな映像を流すのか(人間の頭を食べるシーンやカバンに入った生首など)。センセーショナルなシーンで話題を集めるつもりだろうが、予告編に入れるのは明らかにやりすぎ。子どもが怯えて固まっていた。しばらくゴジラ本編に集中できなかった…。字幕版のゴジラにつけるのは観客が大人ばかりだからまだいい。吹替え版につけるのは配慮が欲しい。 年齢制限(R指定)の作品って予告編では拘束ないのかな。残酷なシーンを見せないためにR指定があるはずなんだけど、それを予告編で見せるのはどうなんだろ。テレ朝『報ステ』10周年パーティーで、古舘伊知郎氏が「早河社長から好きなようにやってくれ。何の制約もないからと言われて始めたんですが、いざスタートしてみると制約だらけ。今では原発の“ゲ”も言えない」と挨拶。その後、早河氏は会長兼CEOに就任。安倍氏と親しい早河氏は原発擁護派。古舘氏はCEOと対立し、報ステから降ろされかけてるらしい。“ポスト古舘”には宮根誠司氏の名が上がってるとのこと。宮根氏といえば「原発が無いと、夜は電気を使わずに我慢して生活しないといけない。江戸時代に戻ってしまう」の人。今、原発は停まってるけれど江戸時代に戻ってない。この司会交代の噂が現実にならぬよう願っている。