アッという間に警察国家の完成だ。既に秘密保護法も用意されている。これが大袈裟でないことはスノーデン氏が実証している。

イスラエル軍によるパレスチナのガザ空爆(780箇所以上)により、3日間で子どもを含む81人が死亡。負傷者は約550人。イスラエル側はハマス幹部を標的にしているが、実際の犠牲者は一般市民が大半。今朝は喫茶店でW杯準決勝アルゼンチンVSオランダを見ていた客にミサイルが落ち16人が死亡。今日だけで子ども5人を含む約30人が殺害された。一方、パレスチナ側はイスラエルのディモナ原発に向けてミサイルを3基発射。ディモナ原発は福島第一と同様に冷却システムの脆弱さが指摘されている原発だ。この施設を破壊したら、ガザだって無事ではすまないぞ…。憲法自衛隊が海外に出て他国軍と殺し合いをするなどまったく想定していない。半世紀以上、憲法学者は右派・左派関係なく「集団的自衛権行使は違憲としか解釈しようがない」と考えてきたし、政府における“法の番人”内閣法制局も、そして歴代首相も、米ソ冷戦の真っ只中でさえ集団的自衛権を容認しなかった。 それを、わずか数年で消える内閣が、まともに国会論議をせず、国民から意見を聞くための公聴会も開かず、好き勝手に解釈するなど許されない。公明党はずっと集団的自衛権に反対していたのに、たった14時間の幹部協議で変容してしまった。それも「歯止め」とは到底言えない内容での妥協。 安倍氏が「これで戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と言い、公明党・太田国交大臣も「戦争に巻き込まれることは“全く”ないと思う」と胸を張っていたが、日本が攻撃されていなくても、米軍が攻撃されたら先制攻撃するという、最も戦争に巻き込まれる道を選んでおいて、なぜアクロバット的な180度逆の見解になるのか理解し難い。 他国が勝手に起こした戦争に自ら巻き込まれるのは愚の骨頂。同級生がケンカを始めた際に、「よし、オレはこっちに味方して一緒に殴るわ」って宣言したヤツが、なんで恨みを買わずケンカ後に平和に過ごせるんだ。ケンカが終わっても「アイツは中立と思ってたのにいきなり殴ってきた」とずっと憎まれる。そして相手側の友人たちから、一気に信用をなくす。戦後約70年かけて培ってきたものを一瞬で失う。 つくづく、21世紀の現代日本のニュースとは思えない。いつから日本は「時の政権の首相が憲法の内容を好き勝手に解釈できる国」になったのか?報道によると閣議決定前に全国200の地方議会が反対決議を行ったというではないか。かつてナチスは、憲法をいじらずにそのまま残し、全権委任法で憲法を死文化した。安倍政権の閣議決定もそれと同じで、憲法を解釈で骨抜きにした安倍一派によるクーデターだ(大袈裟ではなく)。いち内閣の解釈が、国家の最高規範・憲法の上に立つ前例を認めてしまったら、もう何だってやりたい放題になる。憲法の拡大解釈を自由にやれるなら憲法改正は必要なくなる。 公明・山口代表は「国民の権利を根底から覆す事態」「明白な危険」という文言が入ったことで、“二重三重の歯止めになった”と自画自賛しているが甘すぎる。政府が中東の原油を確保できないことを「国民の権利を根底から覆す」事態と認定すれば、自衛隊は中東でイスラム国と戦うことになる。条文の上ではそう解釈できるんだから、歯止めになんかならない。安倍氏は口では「自衛隊が中東で戦うことはない」と言う。だったら、なぜ「集団的自衛権を行使できるのは日本周辺のみである」という地域条項を載せないのか。この短い一文を入れないのは、尖閣竹島を目くらましに使い、地球の裏側まで米軍と軍事行動するつもりだからじゃないのか。国民の生命に「明白な危険」が迫ってるなら、今ある個別的自衛権で十分だ。 そもそも、「自衛隊が日本人を守るため米艦船を守る」っていう状況設定が矛盾を含んでいる。米軍に守られてるということは、既に日本は直接攻撃を受けてるわけで、それなら個別に反撃する現在の個別的自衛権で対応できるじゃないか。それに、安倍氏は「他国が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく」と言うが、集団的自衛権を行使するのはまだ日本が攻撃を受けていない状況だから(攻撃を受けていたら個別的自衛権が発動)、先制攻撃で相手国を侵略する状況になってしまうんだけど、安倍氏は自分の言葉を理解しているのだろうか。 安倍氏の諮問機関・安保法制懇の中心メンバー、岡崎久彦氏は集団的自衛権容認の目的を隠さない。いわく「これでやっと東京湾からペルシャ湾まで全部パトロールして一緒に守れるようになる。これはすごいですよ。どこでもアメリカの第7艦隊と日本の艦隊が一緒になって動く。(武力行使について“必要最小限度”の具体的な定義はないから)いざという場合に、国民の生存が脅かされる場合に、手足を縛る条件は入っていない。(戦争が起きる場所については)日本の安全が根底から覆るケースは地球の裏側で起こることもある」(7/1報道ステーション)。この通り、尖閣竹島は眼中にない。いかに安倍近辺に迎合した公明党幹部の認識がぬるいか。 安倍氏三権分立を規定した憲法第65条「行政権は内閣に属する」を根拠に、「政府が憲法を解釈していくことは当然だ」と言い切った。これに対して憲法学者小林節慶応大学名誉教授は反論する「法が禁じていても、最高権力者(首相)がそれを無視すると決めたら無視できる、これでは“人の支配”じゃないですか。王様・王政じゃないですか。全くおかしいですよ」「(米艦の邦人輸送のように)想定できないことを条件として掲げて、“はいこれがそのケースです”って、基準になっていないんですよ。まったく恐ろしい話です」。 自民の良心、反対派の村上元行政改革担当大臣は閣議決定の直前にこう記者会見した「憲法9条は、日本が攻められていないのに同盟国のために戦争することができるとはどう考えても読めない。9条を空文化するようなことを自民党が行っていいのか」。そして閣議決定後のコメント「戦後70年間、血を一滴も流さないでやってきた日本型平和ブランド主義のどこが悪いんだ」。ニュースで頭が痛くなったのは、一般市民への街頭インタビュー。集団的自衛権の賛成派の意見は「中国とか韓国とか、隣国が尖閣諸島とかに毎日船が来ていたりするので、対抗できる力を持っていた方が良い」「自分の国、自分の身は、自分で守らなきゃいけないと思う」「中国の攻撃とか怖いと思っていたから、ある程度しっかりとした、こうなったらこう攻撃するとかは必要かなと」…それって、全部、個別的自衛権の話じゃないか!今の憲法でも尖閣が侵略されたら対抗できるし、竹島周辺で攻撃されたら目の前の危険を排除する個別的自衛権で反撃できる。憲法をねじ曲げてまで集団的自衛権が必要なのは、アメリカと一緒に戦う以外に何があるのか。集団的自衛権に賛成している人は、自分が自衛隊の人たちに、殺し殺されに行けと言ってるという自覚はあるのか?最後に念押し。「やられたらやりかえす」のは個別的自衛権であり、集団的自衛権は日本が「やられていないけどやりかえす」こと。中韓に攻撃されたら、現状でも武力反撃できる。日本が攻撃されてないのに、遠い土地で他国軍を守るために割り込んで先制攻撃するのが集団的自衛権。紛争当事国の一方に肩入れする、この愚。制服を着た日本人が戦死したり、他国民を殺す立場になる。このデメリットを安倍氏は説明せず、中国脅威論で国民を思考停止にさせたまま閣議決定を強行した。自民党に投票した有権者の割合は、2012年の衆院選が26%、2013年の参院選が22%しかいない。国民の2人に1人が投票に行かなかった結果、こんなことになってしまった。 第二次安倍内閣が発足したとき、短期間でこれほどたやすく解釈改憲が認められ、第9条が死文化されるなんて夢にも思わなかった。日本は法の下で政治が行われる立憲国家であるから、集団的自衛権行使の賛成派であっても、「ただし解釈改憲は絶対にダメ」「堂々と国民投票改憲するべき」という国民と、元々集団的自衛権行使に反対している国民が合わされば、数百万規模の群衆になって国会を包囲できるはずなのに、なぜこうも大人しく現状を受け入れてしまうのか。戦争に参加すれば、もはや日本人に安全な場所はなくなり、国内で大規模テロが起きる確率も跳ね上がる。そして一度でも大規模テロが起きれば、テロ防止を理由に、必ず政府は国民のメール、電話などを監視してくる。アッという間に警察国家の完成だ。既に秘密保護法も用意されている。これが大袈裟でないことはスノーデン氏が実証している。