「立憲デモクラシーの会」は安全保障についての考え方は違っても憲法についての考え方が同じならば一緒にやっていくという前提で集まっている。

まったく有権者を馬鹿にした話だ。6/20付けの西日本新聞のスクープによると、6/13に自民・高村正彦副総裁が「叩き台を作ってみた」と公明側に提案した自衛権行使の「新3要件案」は、実は公明党北側一雄副代表が内閣法制局に原案を作らせ、自民・高村氏に渡したものというではないか!北側氏は「この紙を見たのは初めて」と明言したが、それは大嘘だった。この数日前に公明党執行部が密かに集まり、“まず連立ありき”という政治決断が下され、解釈改憲を受け入れるため自民と公明の「落としどころ」を探ったという。何もかも猿芝居。公明幹部は「元々の文言より歯止めが利くようになった」と言っているが、自分で作った原案に、自分でツッコミを入れているだけ。公明党執行部は、身内の議員まで騙している。6/17に公明党が開いた会合で、所属議員から「被爆国として個別的自衛権の範囲でやりくりしながら、不戦の誓いを守ってきたのではないか」「政府が示した事例で集団的自衛権が必要だと主張する議員が一人もいないのに、なぜ行使容認の閣議決定案の議論に入るのか」と異論が噴出し、6/19の会合でも「高村試案には地理的制限がない」(中東に自衛隊が引っ張り出される)といった慎重論が相次いだ。その『高村試案』が公明党執行部の「下書き」をベースにしたものであることを公明党の一般議員は知らない。政府筋は「公明党幹部から『まだ騒ぎますけどすみませんね』と言われた」という。つまり、“もうちょっと抵抗するフリをするけどヨロシク”ということ。完全に出来レース。 メディア腐敗が深刻なのは、このカラクリをせっかく西日本新聞が暴露したのに、NHKはニュースで流さないし、リベラル寄りの新聞も不自然なまでにスルーしていることだ。なぜ大手メディアは伝えようとしない!首相動静を調べてみると、西日本新聞がこのスクープを載せた6/20夜、安倍氏毎日新聞山田孝男特別編集委員、読売新聞の橋本五郎特別編集委員、福山正喜・共同通信社社長らと会食している。案の定というか、もはやギャグ。マスコミは中立性を保つため、任期中の権力トップと距離をとれ!“ほかのヤジ主は特定しない決議案”を都議会が可決。都議会は、まったく自浄力がないことを世界に見せつけた。セクハラは一般企業だと即懲戒。欧米なら一発で議員生命アウト。だが、都議会ではセクハラ野次を行った議員に辞職勧告もなければ、他の野次を言った人物も特定せず。完全に逃げた。都議会は「女性の権利など、どうでもよいことなのだ」と公言したも同然。ネットの保守系掲示板では予想通りの塩村あやか都議バッシング。野次を浴びせた方ではなく、野次を受けた側を「傷つく方が悪い、弱い」と非難。なんだそりゃ。 田母神氏「どうして女性蔑視なのか私にはよく分からない」。こんなことも分からないから、田母神氏は元女性自衛官とのセクハラ訴訟で敗訴したんじゃないのか。今回の野次事件は、内容の酷さもさることながら、鈴木章浩都議が「私じゃないし、野次なんて聞こえなかった」とウソを言い続け、どうにも誤魔化せなくなってから「私でした」と言ったことでも、議員としての資質を問われている。見えないところから弾を撃って、コソコソしてるってのが情けない…。 それにしても、あれだけハッキリと声がマイクで拾われているのに、斜め後ろにいた自民・吉原修幹事長に聞こえない訳がない(寝てたのか?)。NHKの音声解析で複数の野次議員の存在が確認されているのに、いまだに党をあげて隠蔽しているのだから話にならない。都議会自民の女性議員は何をやっているのか。自民の中にもしっかり苦言を呈した都議がいるだろうから、そういう都議を中心に立て直して欲しい。安倍氏は首相に返り咲いてから、憲法第96条の改憲要件を「3分の2」から「過半数」に緩和しようとしていた。その理由について「国民に憲法を改正するチャンスを与えるためだ」と言っていた。ところが今は、いち内閣が自分たちの考え方だけで憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとしており、明らかに2年前の安倍氏の民主主義論と矛盾している。当時の議論に忠実であれば、国民に意思を問う憲法改正によって行うべきということ以外ないはずなのに、なぜか今回は国民の意見は聞かなくてもいい、内閣の、しかも私が決めればいいのだという話になっている。非常に異常な事態だ。欧州にはNATO北大西洋条約機構)という集団安全保障体制への依存過多が結果的に冷戦を持続してしまったという反省があり、1970年代以降、軍事的な集団保障体制への依存度を弱め、OSCE(全欧安保協力機構)を設立して、各国間に信頼醸成のメカニズムを作り、冷戦構造を克服しようとする試みが始まった。1995年には常設事務局をジュネーブに設置し、OSCEの役割は一段と強化された。これら、対話と信頼醸成のメカニズムを駆使して平和を確保する「非軍事的」な安全保障が米ソ冷戦の終結への一要因となった。現在ではさらに非軍事的な安全保障体制が進化し、「協調的安全保障」が提唱され、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ASEANなどが、それに基づく手法を採用している。一方、安倍政権がやっている事は、現代の安全保障論からいえば時代遅れもいいところで、中国や北朝鮮を仮想敵国に仕立てあげ挑発しようとしている。日本は非軍事の安全保障を機軸とし、これまでの平和憲法の「非戦」の信用力と信頼醸成を中心にした平和構築外交を推進すべき。安倍氏の個人的な諮問機関、安保法制懇の問題点について。この団体は、憲法を骨抜きにし、立憲主義を破壊することに手を貸した。憲法の定める改正手続きを否定し、立憲主義を葬り去ろうとする政権に尻尾を振り、学問的および職業的良心を持つはずの人たちが、それを捨て去ってまで暴挙に加わった。そして、時の政権の支配をやりやすくするために、政権に利用されることを知りながら、その意向に節操を売り渡した。政権と一枚岩になってしまい、政権にお墨付きを与えるだけの御用学者集団に成り果てた。これを徹底的に批判していく必要がある。安倍氏は(靖国参拝など歴史問題で)「向こうが折れないから悪いんだ」と言ってつっぱり、それで「集団的自衛権」で守ってもらおうと、「遠い友だちの戦争を手伝うんだ」といきがっている。その異様さをちょっと考えた方がいい。そんなふうに考えて、そんな振る舞いをする人たちというのは、もうほとんど病理学的な名前がつくような事態だと思う。実際安倍首相が、安保法制懇にしろ、内閣法制局にしろ、NHKにしろ、集めてくる人たちは、我々の社会常識から考えれば、極めて異様な人たち。そこに加わっている学者という人たちも、学会でも極めて特殊な少数派。そういう人たちが国の舵を取り、それを動かそうとしている。それが政府の息がかかっているということで、メディアに、テレビに取り上げられる。それに対して、おかしいといった反応が出てこないことが、今の日本社会の異様さを示している。「立憲デモクラシーの会」は、安全保障についての考え方は違っても、憲法についての考え方が同じならば一緒にやっていくという前提で集まっている。そういう趣旨の会であるにもかかわらず、ここまで安全保障論議をせざるを得なくなったのは、安倍氏や安保法制懇が彼らなりの安全保障論を持ち出すことによって憲法を空文化、無効化しようとしているからに他ならない。法制懇座長代理の北岡伸一氏は「憲法より安全保障のほうが大切であり、憲法なんか道具にすぎない」という言い方をしており、安全保障について、時の政府がフリーハンドで判断できるように憲法上の抑制をすべて外したいと主張している。そういう主張をされると我々としては、「憲法が大切であり、立憲主義をないがしろにすると国家そのものが保たないですよ」と言わざるをえなくなる。