砂の女。学生時代に読んで人生の最高傑作と思っていたこの本を100分で名著を契機に何十年かぶりに再読した。

読むのに時間がかかった。日本の湿気の多い嫌な暑さ、砂のまとわりついてくる感覚が伝わってくる本だった。 安部公房の本は終わり方がすごく好き。一拍開けて衝撃とか感想とかが出てくる感じ。 家畜に、小さい時から柵の外に出れないようにしたまま成長すると、いざ柵の扉が開きいつでも外に出れる状況になっていても、「柵の外には出れない」と思い込んでいるから出て行かない。という話を思い出した。 終盤、女と男の立場が変わっていくところや、些細な会話から男が砂のこの生活に適応し始めてるところが面白かった。不思議と現実味があった。かの有名な安部公房砂の女」初めて読みました。砂の部落の寂寥感・閉塞感がハンパないです。主人公の男もこだわりがめっちゃ強い石頭(笑)。砂穴の底の家で一緒に暮らす女もかなり変わってます。でも結局主人公は女とヤッちゃった&授かっちゃったのね(笑)。初めは囚われの身となり脱出するのに必死だった主人公が終盤には。。人間のエゴ・業などが出ていて深い作品だと思いました。安部公房の別作品も読みたくなりました毎年恒例キュンタしおり欲しさに購入。超有名どころ。最初に行方不明になっているのがわかっているので、うまく逃げられないのだろうけど、どうなるんだと思いながら読んでいった。なるようになった。逃げられないなら適応するほうが幸せになれる気がするが、何だかな。読みごたえがありました。「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。」(p.236)……100分de名著をきっかけに読了したので、多少影響ありの感想になる。本書で描かれるのは「社会から肩書きをもらって生きる自由」と「虫のように生命のために生きる自由」の差である。そして自分とは、社会とは、孤独とは、といった永久の問い。砂穴から脱出するため主人公は有りとあらゆる方法を使いますが何回も失敗します。彼はそれでも諦めずに自由を求めあらがいます。しかし女と生活していくうちに穴での生活に順応してしまいます。 「慣れ」っていい事なのかもしれませんが、考えようではちょっと怖くなりました。フランスの最優秀外国文学賞受賞作。砂の家に閉じ込められた奇妙な生活。そこに住む女性の価値観。男性が求めたもの、自由とは何か?生き甲斐とは?等々考えさせられる。サスペンスの皮をかぶった純文学的な作品である。物語の最終盤でようやく村落を自由に出歩けるようになった男の姿から「罰がなければ、逃げるたのしみもない。」という言葉の孕む痛烈なアイロニー性を理解し、衝撃を受けました。 結局のところ男は何を求めていたのか?という部分を完全には理解できないまま読了してしまいましたが、この物語の持つ異常な世界観が自分の趣味嗜好に符合したことも相まって楽しく読むことができました。「ぼくは、人生に、よりどころがあるという教育のしかたには、どうも疑問でならないんですがね…」男は同僚に語っていた。しかし、女に対して「これじゃまるで、砂掻きをするためにだけ生きているようなものじゃないか」とつめよる。年中しがみついていることばかりを強要しつづける、現実の鬱陶しさに辟易し、流動性のある砂にあこがれ、身を任せることに競争はないと理想を掲げるも、女の生き方に虚しさを覚えている。男が往復切符を手に入れた時、今日は使わないという自由を手に入れる。私達もいつでもできることを後回しにしていないだろうか?NHKの番組「100分de名著」で取り上げられたのを機に一読。読了直後はよく分からなかったものの、番組ホームページで「逃亡する最大のチャンスだったが、仁木は外へ出ようとはしなかった。」と確認。番組を見て、著書に対する理解を深めようと思う。100分de名著より。先日読んだ推しことば類語辞典にも一文が引用されていて気になっていた初安部公房。なんとも不条理。旅行で辿り着いた村で宿泊した民家が蟻地獄のような砂の中で、そこに住む女と砂かきをするよう強制されて出られなくなる。どこをどうとっても意味不明。仁木は脱走を試みたり村人と交渉したり、最後まで出ていくことを諦めずに溜水装置まで作り出したのに。いざ目の前に梯子が降ろされて自由になれる機会がやってきたのに。冒頭の、罪がなければ逃げるたのしみもない、にぞっとした。砂の中と、現実の生活と、何が違うのか。砂の穴の底に閉じ込められ、砂をかき出すだけの日常。無意味に思えるが、男はそれまでの日常に飽きていたのではなかったのか、これまでと何が違うのか。逃げようとして、より過酷な日常に囚われ、そこからまた逃げようとして、いざ逃げられるとなったら、逃げなくてもいいという心境に陥る。砂の穴は閉塞した地方社会と考えるのが素直な読み方だろうが、一旗挙げようとした男が名前も知られずに埋没している姿は、都会の片隅で生きている我々の比喩のようにも読める。色々考えさせられて、もう訳がわからん…100分de名著の6月テーマ本でした。面白い!久しぶりに読む手が止まらない作品を読んだように感じます。砂に足を取られ、素朴で邪気の無い女に心を絡め取られ、日々繰り返される生活に順応し、世間に認められるよりも自分の中の興味を満たす事で人生に満足していく。大多数の人が理解できる心理だと感じます。読んでる最中幾度も女との何気無い生活の描写に安寧を感じ、全く野心家とは正反対な自分の気質を意識しました。読後に『罰がなければ、逃げるたのしみもない』という最初の一文に戻った時のゾワゾワ感が堪らないです。私も砂に絡め取られた人生を生き続けるのでしょう。面白かった。初めのは仁木に同情し女を蔑んでいたのが、次第に彼の傲慢な態度に胸がむかつくようになり、最後には女の人生がよきことを願うようになったのだから驚く。結局、近代の都市社会がアイデンティティとする「自由」、その中でも不自由な諸々に縛られた生活からは逃れられない。日々の仕事をこなす「だけ」の生活と優劣がないどころか、取り立てるほどの差異もないのかもしれない。だからこそ、遠くにあるものに羨望を抱きながら、他人のことなんてどうだってかまいやしない、切に思い、自分の立つ場所を守りながら生きるのだろう。私も。現実と幻想が交錯し、静かな恐怖に引き込まれ、一気に読了しました。主人公の中学校教師にとって、砂は流動するがゆえに、自由を象徴するものでしたが、逆にそれに搦めとられ、監禁状態を自分の意志で選び取ることになって行きます。実際、自由だのリベラルだのと軽々しい言い様で、ただの自分勝手をそう称しているだけ輩もいますが、芥川龍之介が残した「自由は山嶺の空気に似ている、どちらも弱い者には耐えられない」という言葉は自由の本質を撞いていると思います。カフカ的ではあるが、不条理より自由と実存について考えさせられる内容だった。男は砂の穴から出たがっているものの、自由を得て何をしたいのかはあまり考えていないようだ。その後、穴の中である種の生きがいを見つけ、待ち望んでいた自由への道もスルーしてしまう。しかしこれは「穴の中にとどまる自由」を得たとみることもできる。自由を得てから実存に至るのではなく、実存から自由に至ったということなのだろう。ある一人の男が行方不明になる。彼はいきなり理不尽にも蟻地獄のような世界に迷い込んでしまう。読んでいるこちらの口の中もパサパサになりそうな、足をすくい取られそうな砂の世界に恐怖が倍増した。彼がわからないながらも現状を観察し、読み、自分の生きる社会のシステムを信じたり、過去を振り返ったり、さらに逃亡作戦をたて実行するが、絶望の内に順応していく。新種の昆虫に名を残すことはなくともこの村での貴重な体験を他者から認められるために、そして新しい家族のために、最後、待ち焦がれたロープが目の前にぶら下がった