19世紀のフランス音楽界はオペラ作曲家だけが重んじられ器楽曲の作曲家は軽視されていた。

発売中の『音楽の友 3月号』、連載の「世界音楽家巡礼」が第12回、つまり1年を迎えた。今回はフランスの作曲家(前編)ということで、ビゼードビュッシーフォーレ、サティの墓参レポと人物紹介を激筆。誌面の関係で2500字しか載せられないけど、カット前の原稿は2万5千字に達した。この仕事に取り組んだおかげで、一生聴く機会がなかったであろうマイナー作品とたくさん出会え、日々感涙。今は次号に向けてサン=サーンスベルリオーズラヴェルを聴きまくってる。 19世紀のフランス音楽界は、オペラ作曲家だけが重んじられ、器楽曲の作曲家は軽視されていた。その中にあって、あらゆるジャンルに作品を書いたサン=サーンスはほんと開拓者だと思う。彼の弟子のフォーレも師に劣らず室内楽の良作を書いた。この1カ月フランス産のクラシックにどっぷりです。 ※サン=サーンス『ピアノ協奏曲第4番』の最後の6分間、ピアノが天空を駆け巡るような解放感があり、気持ち良いのなんの。未聴の方に是非聴いてほしいデス。 ※サン=サーンスが没する2年前に作曲した『糸杉と月桂樹』(9分12秒)、このライブ動画の演奏は「日本IBMの社員楽団」、つまりアマチュア・オーケストラとのことだけど、聴き惚れてしまった!驚くほどレベルが高い。パイプオルガンの低音と、輝やくトランペットの音色が合わさるとたまらない。フィナーレまで存分に楽しんだ。サン=サーンスがこれを書いたのは84歳。その高齢でこんなに迫力&カタルシスのある曲を書くとは。ちなみにサン=サーンスは世界初の映画音楽を作曲(1907年)した人でもある。平昌五輪、スピードスケート女子500メートルで五輪新記録をたたき出し、日本女子で初となる金メダルを獲得した小平奈緒選手。彼女はサポートしてくれる企業が見つからず、遠征費など彼女を支えてくれたのは地元長野の相沢病院だった。小平選手はメダルを病院の患者さんたちに見せたいという。相沢理事長いわく「これからも彼女を優しく包み込む居場所であり続けたい」。宣伝効果がないとみるや即サポートをやめる企業が多いなか、結果を出せないときでも9年間ずっと病院側は応援してきた。素晴らしい。 そしてレース直後に小平選手が銀メダルのライバル、韓国・李相花(イ・サンファ)選手に駆け寄り、「あなたをリスペクトしている」と健闘を称えたのも印象的。泣き崩れる李選手を抱きしめ、その後にそれぞれが国旗を掲げて、時おり手を繋ぎながら場内の歓声に応えていた。後の会見でも、お互いに自然に手を繋ぐ場面があった。両者はプライベートでも親友で、小平選手は李選手が好きな日本食を送ったり、李選手からトレーニングを一緒にしようと誘うことがあるという。米AP通信は「歴史的な問題で仲が良くない両国が、スピードスケート競技場では和合を見せてくれた」と強調。米NBCも「新チャンピオン小平とオリンピック3連覇に失敗した李相花が互いに激励する場面は、スポーツマンシップとは何なのかということを見せてくれた」と讃えた。韓国でも「これがまさにスポーツ選手のあるべき姿」との声。 それから女子パシュート団体の金メダル!決勝のオランダ戦の生中継はめっちゃ手に汗を握った。背の高いオランダチームに小柄な日本選手が勝利するのは胸熱!おめでとう! /今回の五輪では生中継で「歴史的なキス」が放映された。フリースタイルスキー男子スロープスタイルで、アメリカのガス・ケンワージー選手が競技前に交際相手の男性と交わしたキスがオンエアされたのだ。相手は俳優マシュー・ウィルカスさん。オリンピック中継で同性カップルのキスが放映されたのは前例がなく、ネットには「こういう何気ない愛情表現の瞬間が、世界中のLGBTQに希望を与えてくれる」「未だにこの歴史的な『オリンピックキス』に心を揺さぶられてる。世界中のLGBTQを勇気付けてくれてありがとう!」との書き込み。 ケンワージー選手は2014年のソチオリンピックで銀メダルを獲得した際は、自分のセクシュアリティを明らかにしていなかったが、後にこうカミングアウトした。「今までずっと自分はゲイだという真実を認めるのが怖かったけど、嘘をつき続ける痛みがその恐怖を上回るようになった。いま、この壁を取り払うことができて、本当に誇らしく思う」。