推し、燃ゆ。推しがいる人ってすごく増えていると思うし推しのために頑張る人もとても多くて今はそれを生き生きと堂々と語ることのできる世界だと思う

推しの存在や推しごとは、日常に潤いをもたらしたり、何かを頑張れる理由になるものだと思っています。ただ彼女にとっての推しはそれ以上のもので、推しが全てであり、推しが生きがいにもなっているよう。推しのスキャンダルや引退が、彼女のようなオタクにどのような衝撃を与えるのか、興味・関心のある分野でもあり、あっという間に読み終えてしまった。鬱々とした本だった。少し期待しすぎた感。 私自身、"推し"がいるわけでもないし、真剣に芸能人を応援したことがないので未知の世界だった。 あそこまで自分を犠牲にして推して幸せなのだろうか。 でも彼女からしたら、夢中になれる"推し"がいない私こそ可哀想に見えるのだろうか。 分からないけど、特に面白味のない本だったという印象。 私には合わない内容と文体。 最後まで鬱なのは苦手。芥川賞受賞作ということで期待しすぎた。自分の中のエネルギーを、推しがいることで表現して生きる実感を得ていたのに、なくなった喪失感はわかる。自分自身が親世代の方に近いから、主人公よりも、周りの大人たちの無責任さ、彼女への関わりから逃げる姿勢が気になった。一人暮らしさせるって、もう放置だよね?その前に病院連れてくとか、就業させたいならなんらかの施設で適正判定を受けさせるとか、やりようはあるはずなのに。まあそんなことは本筋とは関係ないのだろう。「自分から動かなくても自分は動いているという安堵」というのには全く同感。今まで自分も感じてたことなので。 audibleで聞いたのだけれど朗読も良かった。 主人公の雰囲気がよくわかった。自分も推しがいる身なので、ところどころ「わかる」と声に出しながら読んだ。「匂わせ」だの「繋がり」だのという単語に思わず口角が上がってしまう。ただ、この主人公は推しを推しながら、現実世界で生きていくのが辛そうで、老婆心ながら『誰かちゃんと向き合ってくれる大人はいないのだろうか』とも思ってしまった。 推しが『人』に戻った後の彼女の人生についてすこし考えてしまう。ただ、案外すぐに別の推しを見つけてそこにまた全力を注ぎそうな気もしそうだ。これが芥川賞か~時代だな~とぼんやり思った。だったら何が芥川賞に相応しくて何がどう時代を表しているかはうまく説明出来ないけども。最後に綿棒を拾う場面が遺骨を拾うということで、ああ推しは燃え尽きたのね、という解釈がしやすくてよかった。生活感とか授業に対する感じとか、うーんこれは診断出るよなぁと察してしまうのが嫌だった。家族との関係と推し活にのめり込んでいく生活が繋がっていて、この人上手いなぁと思った。どんどん作品出してほしいな~。おそらくADHDとか発達障害な女子高生が生きづらさを抱えながら、推しアイドルを推すことを生きる理由にしていた。しかし推しは炎上し、それでも変わらず推していたのに突然の引退宣言。依存先を失った主人公がわき上がる衝動を目の前のものにぶつけ、散らばった綿棒を拾いながらまるで骨のようだと感じる。芥川賞を受賞した現代の純文学。そういえば純文学ってこんなのだった。明確な悪役なんていなくて、ただどうしようもない現実がそこにあって、めでたしめでたしでは終わらない。真面目に考えると難しい問題なので正直考えたくないやつだ。推しにのめり込む高校生の話。一人称で話は進み、主人公の鬱屈した気持ちがつらつらと綴られるので読んでいて少ししんどくなる。推しが炎上し引退することで、推しと自らの魂とほぼ同化していた主人公がどうなってしまうんだろうと心配になった。最後の場面は自分を破壊することで、推しと分離し、思うままにならず忌み嫌っている自分の肉体部分を受け入れて生きていくのかなと解釈した。前向きなラスト、ということで良いんだよね?あかりにおりた診断は発達障がいか、精神的なものか。社会の流れについていけない、周囲と同じようにできないと集団から弾かれてしまう。辛いだろうと思う。そんな中、推しを推すことだけは順序だててできる。自分の存在を感じられる。唯一上手く出来ることにすがり付く思いだったのでは。そんな中で推しが引退してしまう。すがる対象が無くなって、社会に己の身一つで放り出されてしまう恐怖を想像する。でもあかりは自分でも出来ることがあると証明して見せたじゃないか。希望の見えるラストに思えた。推しへの、第一人称目線の小説。主人公が推す上野真幸がファンを殴ったところから始まる。推しの影に重なるほど、「好き」とは違う感情が体験できた気がします。最後の綿棒を拾うまでの描写に、「自分の肉の重さ」と「体が重かった」の表現がまた絶妙な想像力を掻き立てられる良さがありました。推しを推すことで世界と繋がっている「私」。しかし実際にはそれだけが「私」を形づくっているわけではない。推しの引退後、ファンを殴った推しに自分を重ねたとき、「私」もまた内側に封じ込めていたものを爆発させる……綿棒のケースを叩きつけることによって。ここがリアルで、くすっと笑えて、作者の筆致に温もりを感じた。あかりは病気で普通の事が普通にできない。周りからの理解が得られず、推し活をしている時だけ自分を感じることができる。推しの炎上をきっかけに、更に熱中していき、生活は落ちていく。ピーターパンに重ね合わせ「大人になりたくない」と思っていた自分は死んで、その骨を自分で拾う。絶望的な表現だったけど、最後向き合おうとする姿勢が見れて少し救われた。終始暗い印象。この本を読んで、推しを理解出来たと言えば、嘘になる。でも、最後の綿棒の話で、推しを推す主人公の気持ち、やり切れなくてめちゃくちゃ辛い気持ちが少し理解出来た。推しがいないと生きていけない人って、その推しがいなくなったらぽっかり穴が空いてしまって最悪死んでもいいと思ってしまうのではないか。それぐらい、熱い想いが詰まっている。自分のフィアンセにも推しがいる。最初は理解出来なかったが、今は理解しようとしている。この本もフィアンセに勧められて読んだ。推しについて、これからも学んでいこうと思います!Audibleにて聴き読。他の作品だと残念ながら耳をすり抜ける感じだったのにこの作品はまるでラジオドラマのように集中出来ました。燃ゆとは、炎上と燃え尽きるを掛けていたのかな。熱しやすく冷めやすい自分には、主人公のように生活や人生の一部を捧げる程にのめり込む対象に巡り会うことなく来たことは幸か不幸か分からない。インスタライブとかSNSの使われ方は現時点で既視感がありました。推しによって希望を見出す人がいる、その事実が分かりやすく文章になっていた印象。アルバイト先の描写は自分にも覚えがあり心が少し痛みました。発達障害傾向のある高校生が、推し活をしていたアイドルの炎上を契機に自分を見失っていく話。日常生活困難な主人公と社会を「推し」がつなぐという設定は、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」でコンビニが主人公と社会をつなぐ設定を思い出す。主人公が最終的に前を向く話ではなく、このままくすぶって生きていくのかな?という現実的な結末のため、もやもやとした気持ちになり、若い世代が読むなら尚更ハッピーエンドにしてほしかったなと一読者としては思うが、若いときの葛藤や痛みが反映されていると思えば、文学的とも言えるのかも。芥川賞受賞というレッテルとシンプルだけど面白い題名からずっと読んで見たいと思っていた1冊。推しに人生の全てを捧げて生きている女の子のお話。「推しが全て」という姿勢はすごく現代っぽいなと思ったし、面白かった。ただ、現実生活を侵食するほどのめり込んでしまうのはすごく危険な事だ。あかり、絶対何かの発達障害だとも思う。推しという存在が無くなった彼女はこれからどのように生活していくのか気になるところ。 まだこの作品しか読んだことがないからよく分からないけど、芥川賞って独特な感じの賞なんだなって思った。私はあかりほど推している誰かがいるわけではないけど、推しに生きる熱さがわかった。あかりは、「推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる」といっていて、生きるしんどさを忘れられる瞬間なんだろうと思った。 勉強ができないことから感じる劣等感はわかる。他の人ができることができない悔しさを感じ続けることはつらい。バイトだってギリギリな状態で、生きるためのエネルギーを推しから吸収することは最後の砦だった。自分のことを好きになれず苦しむ心情に共感せる部分もあった。母親から影響を受けていることも垣間見てしんどかった。程度の差こそあれ、誰でも、自分が生きる拠り所となる「何か」を持っているのではないでしょうか。それが何かのきっかけで、巨大化してしまい、取り返しのつかないことになりうる危険を孕んでいるのだと思いました。それでも、守りたい何かってあると思います。すべてを捧げられる程の「何か」にはなかなか巡り会えないのではないでしょうか。たまたま、あかりにとっては、それが、あるアイドルを推すことだったのかなあと思いました。