僕らはベートーヴェンが偉大な作曲家ということを小学校の音楽の授業などで知っている

ベートーヴェンが世を去って約200年が経つ現在、僕らはベートーヴェンが偉大な作曲家ということを小学校の音楽の授業などで知っている。それでは、彼の音楽を初めて聞いた同時代の人々の感想はどうだったのか。作曲家ベルリオーズが素晴らしい一文を残しているので紹介したい。 まだベートーヴェンが存命していた1825年(他界2年前)、パリで作曲を勉強していたベルリオーズは22歳。彼は晩年に当時をこう回想している。 『今から約35年前、フランスではまったくと言ってよいほど知られていなかったベートーヴェンの作品が“試演”された。現在では想像もつかぬことだが、当時はその見事な音楽も多くの芸術家達からのごうごうたる非難を受けたものだ。「旋律らしい旋律がなく、転調は洗練度不足、和声も粗野であり、やたらに騒がしく表現は大袈裟、おまけに難解である」…というふうに。 ベートーヴェンの音楽をフランスに紹介しようとする者は、王立音楽アカデミーの人々の趣味に合わせるため、言語道断の“部分カット”を施さねばならなかった(管理人注:信じ難いことだけど、当時のフランスはベートーヴェン交響曲のある楽章を、別の曲の楽章と入れ替えて演奏するようなことが普通に行われていた)。そして、もしそのような修正を行わずにいたとしたら、おそらくベートーヴェンは試演の機会さえなかっただろう。 (フランスの名バイオリニスト)クロイツェル氏は耳をおさえて逃げ出したことがあり、全身の勇気を奮い起こさなければ交響曲第2番を全部聴く気になれなかったそうだ。もっとも、その頃のパリの音楽家の99パーセントはクロイツェル氏と同意見であったから、それと正反対の意見を主張する、ごく一部の人々の粘り強い尽力がなかったら、この近代における最も偉大な作曲家は今日でも一般には知られていなかったかもしれないのだ。 同時に、ベートーヴェンの普及は一般民衆の力によることも大きい。自己の感性だけで物事を判断でき、どの党派にも組みせず、偏向した批評家の屁理屈にも惑わされぬ人々。民衆は誤った見方に陥る例も少なくないが、ことベートーヴェンに対しては、その根幹の長所を、いち早く直感的に認めていたのであった。彼らはどれそれの転調はどの転調に関わりがあるかや、和声の構造には少しもかまわず、ベートーヴェンの音楽を貫く高貴な情熱にあふれた旋律、力強い楽器法が伝えるまったく新しい強烈な感銘のみを問題としたのであった。 フランス人は音楽によって熱狂的感動におそわれることは少なく、それだけにいざ本当に興奮する時は、その感動を与えてくれた芸術家には、こよなく感謝の意を捧げる。民衆がはっきりと示し始めたベートーヴェンへの興味によって、反対者たちの多くは沈黙するか、あるいは殆ど無力な状態に追い込まれていったものだ。 最初はごくほのかに差し始めた光であったが、目ざとい人々はそれだけで太陽の昇ってくる方向を知った。そして現在の素晴らしい(パリの)コンセルヴァトワール演奏協会が、いわばベートーヴェンひとりのために誕生したのであった。』